今回は、当時15才だった私が、親元を離れ、単身でアメリカの高校へ正規留学を決めた理由について書いていこうと思います。
これから留学をしたいと思っている方や、留学を控えている方に少しでも共感して頂けたり、励みになってもらえれば幸いです!
私の生まれ育った環境
実は、私が15才になるまで生まれ育ったのは、アメリカとは程遠い日本のド田舎でした。母親は、大学卒業後に3年ほど語学留学経験がありました。そのため、私が小さい頃から英語に触れる環境を整えてくれていました。
物心ついた頃から英会話教室に通って、お家でも英語の本やビデオを常に見せてくれていました。3歳になる頃までは、目についたものを英語で言ったり、日本語より英語の単語の方が知っていたように思います。
母親は、そのままインターナショナルスクールに入れたかったみたいですが、その当時、私が住んでいた県にインターナショナルスクールなど存在しなく、隣の県まで通うしかなかったので、諦めて現地の幼稚園に通いました。
現地の幼稚園で、他の園児と混じって会話やお遊びをする間に、私の英語力はどんどん失われ、しまいには方言ガッツリ、3才まで覚えていた英単語も全て忘れてしまいました。母親は、相当ショックを受けていましたが、英会話教室に週1で通っているだけではどうにもならないこともあります…笑
そして、私はその後普通に現地の小学校へ進学し英語とは無縁の生活を送ります。
叔父とアメリカ旅行へ
そんな私に、小学校6年生の時に転機が訪れます!母と同様、学生時代に留学経験もあり、たまたまハワイ州の運転免許証を持っていた母の弟が、免許更新のために私と従姉妹をハワイに連れて行ってくれることになったのです!
季節は10月、ちょうどハロウィーンの時期でした。ハワイ州に知り合いがたくさんいた叔父が、現地の子供たちと一緒にTrick or Treatができるようにアレンジしてくれていました。初めてのTrick or Treat、現地の子ども達に混じり、マノアにある高級住宅街を一軒一軒まわり、お菓子やおもちゃなどをもらいます。3才歳下の従姉妹は号泣、私も怖かったですが、なんだかんだで楽しい経験となりました。
そして、少しですが、私も英語が喋れるようになりたいな〜、アメリカに住んでみたいな〜という思いが芽生え始めたのです。
アメリカのドラマに大ハマり!
それから日本に帰国しましたが、私の中のアメリカブームはおさまらず、ディズニーチャンネルやMTVで英語のドラマや音楽に大ハマりしていきます。
ハワイで知り合った現地の子ども達に教えてもらったハンナモンタナやスィートライフなどを英語の音声、日本語字幕付きでずーっと見ていました。
そんなことをしている間に、ますますアメリカに行きたくなり、12歳までは耳が発達しているため、英語を覚えるのも楽だし、発音もネイティブ並になれると聞いて、中学校からアメリカの学校に行きたい!と思うようになります。
中学留学?家族を説得!
「私、中学校からアメリカの学校に留学したい!」
ある日、突然言い出した私に家族はびっくり!
何日も、何ヶ月も、あらゆる理由をつけて説得を試みましたが、日本の義務教育である中学校までは、日本で終わらせた方がいいと、家族からのお許しは出ませんでした…
私は、それでも諦めませんでした。それならば、高校からは行かせてくれるんだ!とポジティブに捉えて、その当時、私が住んでいた県で1番英語に力を入れていた中学校への受験を決めて、受験勉強に励みました。
家族は、たぶんその時、中学を卒業するまで3年も経てば気が変わるだろうと思っていたと思います。
サマースクールへ参加
無事、中学受験を終え、希望していた中学校へ進学しました。
それでも私の留学熱はおさまらず、学校から帰ると海外ドラマにハマり、同級生が読んでいた中学生向けファッション雑誌には目もくれず、海外セレブのゴシップマガジンを読んでいました。
私が、その頃にハマったドラマがThe OCやLaguna Beachなどの学生もの。どちらもカリフォルニアのオレンジカウンティを舞台に日本とかけ離れた高校生活を送るセレブな子ども達のドラマでした。日本の高校生には想像もできないようなパーティーやプロム、恋愛模様などに一段と憧れを抱きます。
私のあまりの留学熱ぶりに、母親が夏の間にアメリカのサマースクールに行くことをを提案してくれました。母親としても、現地の学校に通ったこともないのに憧れだけで進路を決めようとしていた私が心配だったのでしょう。
中学1年生の夏休みに、1ヶ月間初めてアメリカの現地校のサマースクールに参加します。元々アメリカ好きだった母親も一緒に着いてきてくれて、コンドミニアムを借りて、サマースクールに通いました。
サマースクール初日
いよいよ待ちに待ったサマースクールの初日、バスに乗って学校まで向かいました。当時、英語が全く喋れなかった私。参加したのは、現地の私立校で行われたサマーファンプログラムで、私のようにサマーだけの参加で、英語が全く喋れない子供たちもいたので安心でした。
朝はESLのクラス、午後はアクティビティになっていて、現地の子ども達に混じってランチを食べたり、午後のアクティビティを楽しんだりできる、とても充実したプログラムになっていました。
初日に、案内された教室に入って、私は早速カルチャーショックを受けることになります。席について、先生がプログラムの説明をし始めました。すると、前の方に座っていた男の子が手をあげて、先生に質問します。それに続けて他の数人も手をあげて質問。その後も、現地の子ども達の自己主張の凄さに驚かされた初日でした。
日本の学校では、先生の話を静かに聞くのが当たり前で、話を途中で遮ったりするような人は殆どいませんでしたし、仮に何かを言ったとしても他の生徒から白い目で見られていました。
1ヶ月間のサマースクールを終えて
そんなこんなで1ヶ月のサマースクールはあっという間に終わってしまいました。終わる頃にはたくさんの友達ができ、現地だけでなく、韓国、フランス、ルーマニアなど世界中の生徒と友達になることができました。最終日、みんなとの別れが寂しくて、みんなで抱き合って泣いたほどでした。
そして、1ヶ月のサマースクールを通して、私の日本の教育環境に対する考えも変わっていったのです。
楽しかった夏休みも終わり、日本に戻って通っていた中学校での2学期が始まりました。日本の学校って、まるで箱の中に閉じ込められているみたいだなっと始業式当日に思ったのを今でも覚えています。みんな同じ服を着て、校則を守り、髪を束ねて、靴下や鞄まで、みんなお揃いの学校が指定したもの。先生が教壇に立ったら、静かに話を聞き、当てられたり、意見を求められたときだけ声を発する。そして、間違ったり、人と違った発言をするのが恥ずかしいことだと植え付けられているような感覚に陥ってしまう、カルチャー。アメリカから帰って来たばかりだった私は、学校がそういうふうに見えて仕方ありませんでした。
私自身も、アメリカの学校では恐れずに手をあげて自分の意見を言えていたのに、日本に帰ってくると、なるべく先生に当てられないように、発言をしなくていいようにしている自分がいたのです。
そして、アメリカで勉強している子ども達がとっても自由で、伸び伸び過ごしているように見えて羨ましくなりました。
やっぱり私はアメリカの高校へ行くんだ!もっと自分のカラーを出して、自己主張もできるようになりたいし、いろんな意見を持っている子ども達に囲まれて勉強がしたい!と、より一層強く思ったのでした。
結局、私はその後の中学2年目と3年目の夏休みもアメリカのサマープログラムやホームステイに参加することになります。そして、冬休みは本格的に高校留学への準備のためにSLEPテスト対策の塾へ通いました。
まとめ
今回は、15歳だった私が、単身でアメリカの高校へ正規留学することを決めた理由について書いてみました。これは、あくまでも私の当時感じた意見であり、今現在の日本の中学校はもっと自由で伸び伸びできる環境かもしれません。
その後の具体的な留学準備や実際に渡米してからのことも、これから記事にしていきたいと思います。
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